なぜ警察官になったか?
私は大学卒業後に大阪府警察に就職し、40歳で退職しました。
その後森ノ宮医療専門学校に通って鍼灸師の免許を取得したわけですが、なんとなく思いつきで鍼灸免許を取得したわけではありません。
私は、親が非常に厳格でした。
父は鹿児島出身で、中学を卒業して大阪に板前として就職し、70前まで働いていました。
板前で稼いだお金で弟二人を高校に行かせた、というのが父の自慢で、事あるごとに聞かされていました。
しかし、「鹿児島では台所に立つのは女の仕事」という意識が強いらしく、父は自身が板前であることを誇りには思っていましたが、私には同じ仕事について欲しくないとずっと言っていました。
また、九州出身者は警察官になる人が多いのでしょうか?
父も私には小さな頃から「お前は警察官になるんやで」と呪文のように言い続けていました。
私自身も特に志を持っているような子供ではなかったので、「じゃあ警察官になる」と簡単に答えていました。
そして高校を卒業して進路を考える時に父から
「大阪府警受けろ、早い方がいいから」
と言われ、これまた特に何も考えていなかった私は
「じゃあ大阪府警受ける」
と返事し、高校卒業後に大阪府警に合格、警察学校に入校する運びになったのです。
1回目の警察学校
最初に大阪の警察学校に入ったのは18歳の時で、今から30年近く前ですがかなり鮮明に覚えています。
アルバイトもしたことがなく、特に高い志を持っていたわけでもない高卒の子供が、いきなり「泣く子も黙る大阪府警」と言われる鬼集団のような養成学校に入って続くわけがありません。
訓練の過酷さに右足のスネの骨を折り入院、二ヶ月ほど入院した後の3月に逃げるように学校を去りました。
19歳でした。
この時に初めて、人生で「悔しい」という気持ちを経験しました。
すぐに警察に再チャレンジしようかと思っていましたが、当時の警察学校の担任教官(担任の先生のようなもの)に
「大学に行って広い世界を見てきなさい。それから警察に戻るか決めるといい。その時は連絡してきなさい」
と言われたので、大学を目指すことにしました。
しかし、こうやって自分で書いていてつくづく思いますが、全く自主性のない子供ですね。
大学へ
大学に入学したのは20歳の頃でした。
世間的には2浪して入った年齢です。
大学は桃山学院大学です。
自分的には大金星の大学で、今でも桃山学院大学を卒業したことは誇りに思っています。
大学に入って経験することは、全てが初めての事と言ってもいいくらい、それほど新鮮な経験でした。
大きな敷地、綺麗な建物、広大な図書館、華やかな学生…
全てが別世界でした。
大学では経済学部でしたが、2回生の時に履修した簿記にのめり込みました。
「こんな面白い学問があるんか!」
と衝撃を受けました。
結局大学在学中に2級までしか合格できませんでしたが…
ちなみに今(2025年現在)の簿記2級は当時とは比べ物にならないくらい難しいですね!連結会計なんて当時は1級レベルでしたから。
芽生えた自主性、潰される自主性
大学卒業を控え、皆が就活をしている最中、自分には一つ希望が出てきました。
それは「公認会計士になりたい」というものでした。
今は無理でも、会計事務所に就職していつかは公認会計士を目指したいと思ったのです。
ということで、そのことを父に伝えると
「ええんちゃうか。お前がやりたいんやったら」
と、意外とあっさり了承されました。
しかし、母は
「絶対あかん。そんなんで食って行かれへん」
「お前は警察官になるって約束で大学行ったはずや。それは卑怯や」
等と、烈火の如く怒り反対されました。
もうここには恥ずかしくかけないような内容まで言われました。
他には、知らないおばちゃんから僕の携帯に電話がかかってきて
「お母さんから相談されて電話したんやけど、会計事務所なんかやめとき。おばちゃん税理士事務所でパートしてるけど、みんなギリギリの生活してるよ。だからやめとき」
などと、会計士や税理士は食っていけないと懇々と言われた時は、話の内容よりも
「お前誰やねん」
と思ったものです。
そこから数ヶ月何度も解決を試みましたが、取り付く島もなく、会話のテーブルにもついてもらえない状態でした。
今から思えば、就職先を決めるのに親の決裁など得る必要もないのですが、当時はまだまだ子供だったのだと思います。
結果、大学卒業後は再び大阪府警察に就職することになりました。
ただ、警察官になりたい!という強い気持ちはありませんでした。
これが後々までずっと引きずることになります。
またこの時の公認会計士への憧れが、現在取得し副業としている行政書士という「士業」への憧れとなっているのかもしれません。
二回目の警察人生へ
嫌々入った二度目の警察ですが、警察学校での生活は意外と楽しかったです。
訓練は厳しかったですが、普通に生活をしていては味わえない、非日常な雰囲気がたまらなく楽しかったです。
卒業はあっという間でした。
卒業後は西成警察署の地域課(交番勤務)でした。
とても楽しい思い出がいっぱいあります。警察を辞めた今も、飲みに行くのは西成警察勤務時代の先輩後輩ばかりです。
また、テレビやYouTubeなどで「西成は危ない」「西成は汚い」などと言われますが、決してそんなことはありません。
誇張して言い過ぎです。
確かにそういう側面もありますが、山王や聖天下というところは昔情緒あふれてとても綺麗で良いところです。
天下茶屋も主要な電車の乗り換えがあるハブ駅ですし、非常に栄えています。
ぜひ一度遊びに行ってほしいところです。
不純な昇任目的
私が警察官になったのは、大学卒業後24歳の頃です。
当時はまだハラスメントなんて言葉はなく、警察の上下関係は非常に厳しいものでしたし、組織の中にも「昭和の負の遺産」というような非常識な人もまだまだ多くいました。
・酒に酔った状態で出勤してくる人
・若手にとにかく怒鳴り散らす人
・交番に着くと、勤務が終わるまで仮眠室から出てこない人
・後輩の検挙成績を横取りする人
こんな有象無象がゴロゴロいました。
私も若手時代は
「お前の目つきが気に入らん」
と言われ顔にツバを吐かれたこともありますし、
「生意気や」と言われ、交番の中で拳銃を頭に突きつけられたこともあります。
どちらも上司がその場にいましたが、笑って見ているだけでした。
こういったことが続いたため、自分の中では
「巡査のままやったらあかん、こいつらより階級上げるしかない」
と思い至り、仕事の時間以外は昇任試験の勉強に費やしました。
その結果、そこそこの速さで警部補まで昇任することができました。
ですが、嫌な奴はどこにでもいるもので、一つ階級が上がれば一つ上の階級のダメなやつが現れ、結局環境はほとんど変わりませんでした。
公務員は向いていなかったかもしれない
公務員は安定している、と言われます。
確かにその通りです。
しかしその実態は、歴史の古い企業そのもので、
・血縁重視
・チャレンジよりも前例踏襲
・個人の意見は不要
という体質です。
余計なことは言わない、を徹底できる人には生きやすい環境かもしれませんが、自分にはちょっと合わなかったです。
36歳で警部補になりましたが、その時にはすでにやる気は無くなっていました。
自分のこれまでの警察人生の経歴から、警部以上の階級になれる可能性はほぼゼロだったからです。
企業勤めの方ならお分かりになるかと思いますが、40手前くらいでなんとなく組織での自分の立ち位置が見えるというアレです。
「定年まであと24年、ずっと係長か…」
と考えた瞬間、びっくりするくらい全てがどうでも良くなってしまいました。
巡査部長の時はほとんど休みなく仕事をし、クリスマスにケーキの予約をしていたのに突然鹿児島へ出張を命じられたり、年末年始の出勤は当然のようになっていましたし、震災があれば現場へ行きました。
「そんな事件は価値がない」と言われ、一人で捜査本部をしていたこともあります(これはやる気のない奴を排除できたのでめちゃくちゃ楽しかったです)
別にそれらは楽しかったので、全く苦ではなかったのですが、子供をもうける時期を逸してしまったというか、家庭をかえりみることはほとんどしていなかったように思います。
当時は妻から
「あんたばっかり休みなくなるのおかしくない?」
と言われていました。
当然僕だけがこんな環境ではなかったのですが、そう言ってしまう妻の気持ちも理解できます。
自分なりには組織に貢献したつもりでしたが、組織からはあまり評価されているとは感じなかったです。
警察官になりたい!という強い動機で警察官になっていたなら、少し違っていたかもしれません。
燃え尽き、次を考える
自分なりの警察人生のゴールが見えてしまい、燃え尽きました。
警部補になって交番でボ〜ッと過ごすことが増えました。
やる気はないし努力もしないが、権利意識は人一倍強い部下たちの尻拭いをし続けました。
休みの日でも、部下のチョンボの後始末で出勤することも多々ありました。当然ステルス出勤(無給出勤)です。
別の課の人から
「係長毎日署にいてません?」
と言われたこともあります。もう苦笑いですよ。
誰かに雇われるのも嫌だし、誰かの面倒を見るのも嫌
もう、誰とも関わらずに自分の腕一本で稼いでいきたいと強く思うようになりました。
「学生の頃になりたいと思った、公認会計士?いや、合格する保証がない。
合格までの間、40歳の未経験の人間を雇ってくれるところもあるか疑わしい。そもそも、雇われのるはもう嫌だ。」
なんて事を考えていた時にフと思い出したのが、「鍼灸師」です。
幼なじみのおっちゃんが、病気で失明してから鍼灸師になり、僕はよくそこでマッサージをしてもらっていました。
自宅で小さな施術台一つでしたが、十分治療院の雰囲気でした。
「これだ!」
と思いました。
自分の腕だけで稼ぐことができ、大きなテナントでなくても開業できる。
技術は学校で手に入るから、どこかに勤める必要もない。
思い立ったが吉日で、妻に相談してみました。
十分頑張ったから、応援するで
妻は
「いいんちゃう?警察みたいに生殺与奪の権を組織に握られるわけじゃないし、自分の責任で全部できるやん。あんたにぴったりやん。頑張ってみたら?」
と言ってもらいました。
そこからは早かったです。
12月に辞めようと思うと妻に話し、翌年の3月頭に辞表を出しました。
翌月からは学校生活へ〜という流れで、今に至ります。
警察在職歴は16年でした。
警察という仕事は楽しかったですし、社会に貢献しているという実感も…はあまりありませんでしたが、貴重な経験をたくさんすることができました。
今は鍼灸師として小さな治療院で、自分の手の届く範囲で社会に貢献できればなと思っています。
売り上げの良し悪しで気持ちの浮き沈みはありますが、それでも警察時代よりも生き生きしていると妻に言ってもらえています。
誰にでもオススメできる生き方ではありませんが、こういう生き方をしている人もいるよという参考になればと思います。
当院のご案内
| 院名 | スクナビコナ鍼灸院 奈良学園前 |
| 所在地 | 〒631-0022 奈良市鶴舞西町2−22FUN2階 |
| TELL | 070-8404-5297 |
| 受付時間 | 10:00〜22:00 |
| 休診日 | 不定休 |
| 診療項目 | はり/灸/美容鍼 |
| 駐車場 | 有り(1台)![]() |
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